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ガハハ 酒は原価が一番か

狩撫麻礼作品について一日一言

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狩撫さんはもういない、けれど…

狩撫麻礼さんが亡くなって、はや一年。
一年前のこのブログで書いたような、生々しく鮮血をふいた私のココロはおよそ癒えて、やっと落ち着いて狩撫さんの著作を読み返す余裕ができた。

昨年秋に公開された狩撫さん原作の映画「ハード・コア」を観て、ここにも狩撫さんのココロのバトンを受け継いだ人々がいた…ということに感激を覚えた。
しかし、狩撫さんにこの映画を観てもらうことは叶わなかったのが、ほんとうに残念だ。せめてもの救いは、この映画が完成したということが生前の狩撫さんにも伝わっていたらしい、ということ。
狩撫麻礼さんは、もうこの世にいない。
しかし、狩撫さんの残した作品を通じて、狩撫麻礼のココロは伝承され続けるだろう。

「魂は伝達可能だ
 それだけは信じてる」

 (迷走王ボーダー)

そう、そして狩撫麻礼の魂は輪廻する。

一年前の狩撫さんの訃報が流れた頃に、劇的な体験とともに事情を綴られたブログがあった。
その原典はすでにサイトもろとも消滅してしまいましたが、お書きになられたコミックビーム編集長の岩井好典さんのご許可をいただきましたので以下転載させていただきます。


【岩井っスの日記】 あまりにいろいろなことが…。
2018-01-15 02:58

1月5日の始業から、すぐに、6日(土)・7日(日)・8日(月・祝日)と、三連休。

土曜の夜、寝ようかな…と寝室のベッドに横になろうとしたら、視線の端でビカっと光が走った。
「ん、なんだ、なんだ!?」と驚くほどの閃光。
ベッドルームは灯りを消して真っ暗だったので、外でなにか光ったのかとキョロキョロ。(寝室のすぐ外に、集合住宅の駐車スペースがあって、そこに車が停めてある。でも、寝室の窓には遮光カーテンがかかっているのです)
まあ、眼鏡のレンズの縁になにか反射したんだろうな…と、とりあえず、そのまま就寝。

翌日起きると、どうにも光を感じたほうの左目が、おかしい。
自分は強度の近視で、十代から飛蚊症的な自覚はあったのだが、黒い影が盛大にワシャワシャしていて、さらに加えて、白いモヤッとした影がかなり大きくフワフワと視界を覆う。
目がぼやけているか、ゴミでも入っているのかと思うが、どうも違う。

とにかく、気になって仕方ない。

翌日、月曜日になっても、白いモヤモヤは消えない。
編集部で少し仕事をしたのだが、まったく集中できない。
普通の文字を見るのが、どうもできない。

ネットで調べると(こういうとき、タブレットは便利ですね。拡大できるので、なんとか読める)、視界に光が走るのは、そのとおり「光視症」と呼ばれるものらしい。
火曜日の午前に、自宅近くの眼科に行くことにして、とりあえず就寝。
ベッドに横になり、目をつむるのだが、眼球を動かすと、視界の端に細い三日月のような光が走る。
「目をつむっているのに、光が見えるんだ…」と、少し面白い。

9日(火)、午前中に眼科。
視力を計って、レントゲンを撮り、瞳孔が拡大する薬を点眼して検査。

とりあえず、シリアスな状況ではなく、加齢からくる生理的飛蚊症らしい。
経過を観察しつつ、ひと月後にもう一度検査することに。
やれやれ。

編集部に行ったのだが、瞳孔が拡大してしまっていて、視界がボヤけて、全然仕事にならない。

夜になって、やっと落ち着いたので、ネーム打ち合わせなど。


10日(水)

昼にひとつ来客、午後2時から部長会議、午後5時から編集会議、6時から営業
会議の、定例連チャン。

……そして、とある連絡がきて、すべての思考が止まってしまった。
それで、金曜日までは、仕事はしつつも、どうにもならなくなる。
これについては、19日(金)には、皆さまにお伝えできると思います。


13日(土)、私用で街をフラフラとし、夕方からセキネシンイチ制作室。
コミックスのデータをいただく。

途中から、おくやまゆかさんが同人誌「ランバーロール1号」の制作のためにやってくる。(セキネシンイチさんはカバーデザインや本文の入稿も関わっていらっしゃるのですね)

編集部に行き、入稿作業。


14日(日)、上野の森美術館。
「生賴範義展」。
圧倒される。
そうでなくとも、小松左京・平井和正両作家の装丁で少年期からずっと憧れていた人である上に、原画の凄さ、オリジナルの大作は、まったく知らない生賴範義である。
イラストレーターとしてあんなにも多量の仕事をこなしながら、よくあれだけのオリジナルの大作を何枚も描いていたものだ。

寺田克也さんと話していた時に、自分が「生賴さん、かなり塗り重ねた感じの重厚さがありますよね」と言ったら、寺さんが「いや、生賴さんの原画はピターっと平たいんだよ。原画見ると分かるけど、ほとんど塗り重ねていない。一筆であの絵を描いてる。筆を置く前に、完璧に色を決めているんだと思う。そこが本当にすごい」
と、おっしゃっていたのですが、まさにそうでした。
原画を間近で見ると、それぞれの描画は筆をスッと置いているだけなのが分かる。
それで、あの圧倒的な精緻さと奥行きが表現できているのが、目の前にその原画がいくらもあるのに、まったく信じられない。

老眼鏡を忘れたことと、視界に白いモヤがフワフワしていることを呪いながら、何枚もの生賴世界を食い入るように見つめていたら、なんだか体調がおかしくなってきた。

売店で、SWでもっとも好きな作品である「帝国の逆襲」ポストカードと図録を購い、外に出る。
なんだかフラフラしていたのだが、自販機で温かいお茶を買って飲んだら、落ち着いた。ちょっと脱水気味だったのかもですね。

上野駅構内に崎陽軒の店舗があったので、夕食用に好物のシウマイを買って帰途に。
ついでに、エーグルドゥースでケーキも買いました。


さて、新しい週だ。
なにがあっても、どうしたって新しい週は始まるんだ。
嗚呼。




【岩井っスの日記】 サヨナラ、狩撫麻礼さん。
2018-01-16 03:26


本日、狩撫麻礼さんの訃報が公表されました。


昨日のブログで、「19日には」と書いていたことは、狩撫麻礼さんの訃報でした。

ご親族からの連絡は10日水曜日の夜だったのですが、狩撫さんご本人とご遺族の希望で、既にご葬儀も内々ですませられた後にお伝えいただいたとのこと。
狩撫さんのご遺志は、とにかく「騒がぬように」ということでしたので、そうしたお人柄を重々承知している編集者たちは、これからについていくつかの出版社間で話し合いを行い、19日に第一報とすることになっておりました。

それが、諸事情から、本日の訃報と急遽なりました。


ビームの公式ツイッターで訃報をツイートしたところ、とても多くのかたにリツイートしていただいております。
その後、訃報はヤフーのトップに上がり、「狩撫麻礼」がトレンドワードとなりました。

狩撫さん、「騒ぐな」って言っても、そんな、無理ですよ。
狩撫さんの漫画を読んで、愛してくれた人が、こんなにたくさんいるんです。
申し訳ありませんが、勘弁してください。


正直、まだ、狩撫さんのことを書ける精神状態ではありません。
いつか、少しずつでもその想い出を書ければと思っていますが、とにかく、今は無理です。


7日に亡くなったということを、私は本日知りました。

そうか、7日、日曜日か。

昨日の日記で書いた、私の「暗闇の部屋で、視界の中に閃光が走った」のも、日付は7日でした。たぶん、朝の3時か4時か。
狩撫さんが、この世を去られたのが正確に何時だったのか知りませんが、あれは、狩撫さんが、別れの挨拶にきてくださったのですね。
ぼくは、そうであると決めました。
そうに決まっています。

「加齢による生理的症状」? 冗談じゃない。

「真っ暗闇に疾る刹那の閃光」が、狩撫麻礼でなくてなんだって言うんだ。


狩撫さん。
ありがとうございました。

ぼくらは、まだまだ、あちら側とこちら側の狭間を行きます。


サヨナラ。
これが、一番美しい日本語だとぼくに教えてくれたのは、アン・モロー・リンドバーグと狩撫さんでしたね。

For Sayonara, literally translated, "Since it must be so," of all the good-bys I have heard is the most beautiful.
(さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう)
(『北へ』 訳は須賀敦子『遠い朝の本たち』より)


「一番美しい日本語を知ってるか……? ………サヨナラ」
(『迷走王 ボーダー』)


狩撫さん、もう、あの経堂の部屋でお会いできないと思うと、胸が張り裂けそうです。
でも、しかたないですね。
思い通りにならないことなんて当たり前にある、ってことを教えてくれたのも、狩撫さんの作品でしたから。
もう、「そうならねばならない」んですもんね。
お別れです。

サヨナラ、狩撫麻礼さん。


あの光は、まだぼくの瞳孔の中で、ギラギラと煌めいていますよ。




【岩井っスの日記】 いろいろあるけど…。
2018-01-29 01:26

1月15日(月)~18日(木)

ビーム3月号の仕込みと、いくつかの会議、そして、狩撫さんのことで、なんだかあっと言う間でした。


1月19日(金)

仕事を終えて、8時、恵比寿。
カネコアツシくん、森泉岳土くんらと待ち合わせ、リキッドルーム。world's end girlfriendのライブ。
友人のギタリスト青木裕さんがゲストミュージシャンとして参加するので、カネコくんと一緒に。
青木さんは、このライブの前日、「骨髄肉腫」という難病であることを公表した。

そんな難病の影も感じさせない超硬質なライブ後、青木さんに挨拶。
青木裕は、なんも諦めてないな。

その後、森泉岳土くんとファストフード店に入り、進行中の仕事の話を終電まで。

いろいろある。


1月22日(月)

狩撫麻礼さんのお宅へ。
狩撫さんが逝去なさってから、初の訪問。
言葉にならない。


23日(火)~25日(木)

ちょっと狩撫さんのことで、心が持っていかれてしまっている。
…うう。
でも、仕事はします。


26日(金)

映画「ハード・コア」初号試写。

試写後の打ち上げにも参加させていただき、いましろたかしさんと山下監督に感想を伝える。

ぶっちゃけ、素晴らしかったです。


原作である「平成地獄ブラザーズ ハード・コア」は、狩撫麻礼さんといましろたかしさんが、秋田書店の雑誌グランドチャンピオンで、四半世紀も前に連載された漫画です。
秋田書店では、単行本1巻を刊行した後で、その売り上げが振るわなかったことから、続刊がされないという不運な形に終わりました。

担当である奥村さんは、コミックビームに移ってしばらく経った7年後の2000年、執念のように、前後編で全編をビームコミックスとして刊行しましたが、このときも、決して売れたワケではありません。

そんな作品が、さらに17年後、映画化されることが決まり、コミックスが装いを改め全4巻で刊行されました。

すごいことだと思います。

映画を観ながら、「ああ、25年前にグラチャンに載っていたあの漫画が、実写になっている…」と、とても強く感情を揺さぶられました。

試写後、喫煙室で奥村さんに、「大西さん(グラチャン編集長)と樋口さん(同副編集長)には、観てもらいましょう」と伝えました。
だって、単行本が1巻しか出せなかった漫画が、足かけ3年に渡って連載され完結まで持ちこむことができたのは、作家陣と担当だけの熱意では不可能です。それでも掲載することを許した大西さんと樋口さんの「思い」があったからこそですから。
(ちなみに、グランドチャンピオンについてのネットの情報では、奥村さんがグラチャンの編集長と書かれているものがありますが、これは完全にガセです。奥村さんは最初から最後までヒラの編集でした)

出演者は皆、最高。
山下監督は、原作へのリスペクトをビンビンに感じさせながら、きちんと「今」の映画にしてくださいました。

映画で、「完」の文字が出たときに、自分は、「もう狩撫さんの死に縛られるのはやめよう」と心に誓いました。
これからも、バトンを渡されたものとして、きちんといろいろやっていきますが、とにかく、ケリつきました。
そういう意味でも、映画に感謝を。

いや、普通に面白いですから、狩撫ファンはもちろん最良の追悼のために、そして、「面白い映画」を観たいすべてのかたに、「ハード・コア」はお薦めできると確信しております。


1月27日(土)・28日(日)

27日は仕事をシコシコ。

28日は、親戚の結婚式に出てから、再び仕事をシコシコ。


うし、前へ進もう。


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  1. 2019/01/14(月) 21:07:39|
  2. 狩撫麻礼追悼ナイト
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