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ガハハ 酒は原価が一番か

狩撫麻礼作品について一日一言

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狩撫さんはもういない、けれど…

狩撫麻礼さんが亡くなって、はや一年。
一年前のこのブログで書いたような、生々しく鮮血をふいた私のココロはおよそ癒えて、やっと落ち着いて狩撫さんの著作を読み返す余裕ができた。

昨年秋に公開された狩撫さん原作の映画「ハード・コア」を観て、ここにも狩撫さんのココロのバトンを受け継いだ人々がいた…ということに感激を覚えた。
しかし、狩撫さんにこの映画を観てもらうことは叶わなかったのが、ほんとうに残念だ。せめてもの救いは、この映画が完成したということが生前の狩撫さんにも伝わっていたらしい、ということ。
狩撫麻礼さんは、もうこの世にいない。
しかし、狩撫さんの残した作品を通じて、狩撫麻礼のココロは伝承され続けるだろう。

「魂は伝達可能だ
 それだけは信じてる」

 (迷走王ボーダー)

そう、そして狩撫麻礼の魂は輪廻する。

一年前の狩撫さんの訃報が流れた頃に、劇的な体験とともに事情を綴られたブログがあった。
その原典はすでにサイトもろとも消滅してしまいましたが、お書きになられたコミックビーム編集長の岩井好典さんのご許可をいただきましたので以下転載させていただきます。


【岩井っスの日記】 あまりにいろいろなことが…。
2018-01-15 02:58

1月5日の始業から、すぐに、6日(土)・7日(日)・8日(月・祝日)と、三連休。

土曜の夜、寝ようかな…と寝室のベッドに横になろうとしたら、視線の端でビカっと光が走った。
「ん、なんだ、なんだ!?」と驚くほどの閃光。
ベッドルームは灯りを消して真っ暗だったので、外でなにか光ったのかとキョロキョロ。(寝室のすぐ外に、集合住宅の駐車スペースがあって、そこに車が停めてある。でも、寝室の窓には遮光カーテンがかかっているのです)
まあ、眼鏡のレンズの縁になにか反射したんだろうな…と、とりあえず、そのまま就寝。

翌日起きると、どうにも光を感じたほうの左目が、おかしい。
自分は強度の近視で、十代から飛蚊症的な自覚はあったのだが、黒い影が盛大にワシャワシャしていて、さらに加えて、白いモヤッとした影がかなり大きくフワフワと視界を覆う。
目がぼやけているか、ゴミでも入っているのかと思うが、どうも違う。

とにかく、気になって仕方ない。

翌日、月曜日になっても、白いモヤモヤは消えない。
編集部で少し仕事をしたのだが、まったく集中できない。
普通の文字を見るのが、どうもできない。

ネットで調べると(こういうとき、タブレットは便利ですね。拡大できるので、なんとか読める)、視界に光が走るのは、そのとおり「光視症」と呼ばれるものらしい。
火曜日の午前に、自宅近くの眼科に行くことにして、とりあえず就寝。
ベッドに横になり、目をつむるのだが、眼球を動かすと、視界の端に細い三日月のような光が走る。
「目をつむっているのに、光が見えるんだ…」と、少し面白い。

9日(火)、午前中に眼科。
視力を計って、レントゲンを撮り、瞳孔が拡大する薬を点眼して検査。

とりあえず、シリアスな状況ではなく、加齢からくる生理的飛蚊症らしい。
経過を観察しつつ、ひと月後にもう一度検査することに。
やれやれ。

編集部に行ったのだが、瞳孔が拡大してしまっていて、視界がボヤけて、全然仕事にならない。

夜になって、やっと落ち着いたので、ネーム打ち合わせなど。


10日(水)

昼にひとつ来客、午後2時から部長会議、午後5時から編集会議、6時から営業
会議の、定例連チャン。

……そして、とある連絡がきて、すべての思考が止まってしまった。
それで、金曜日までは、仕事はしつつも、どうにもならなくなる。
これについては、19日(金)には、皆さまにお伝えできると思います。


13日(土)、私用で街をフラフラとし、夕方からセキネシンイチ制作室。
コミックスのデータをいただく。

途中から、おくやまゆかさんが同人誌「ランバーロール1号」の制作のためにやってくる。(セキネシンイチさんはカバーデザインや本文の入稿も関わっていらっしゃるのですね)

編集部に行き、入稿作業。


14日(日)、上野の森美術館。
「生賴範義展」。
圧倒される。
そうでなくとも、小松左京・平井和正両作家の装丁で少年期からずっと憧れていた人である上に、原画の凄さ、オリジナルの大作は、まったく知らない生賴範義である。
イラストレーターとしてあんなにも多量の仕事をこなしながら、よくあれだけのオリジナルの大作を何枚も描いていたものだ。

寺田克也さんと話していた時に、自分が「生賴さん、かなり塗り重ねた感じの重厚さがありますよね」と言ったら、寺さんが「いや、生賴さんの原画はピターっと平たいんだよ。原画見ると分かるけど、ほとんど塗り重ねていない。一筆であの絵を描いてる。筆を置く前に、完璧に色を決めているんだと思う。そこが本当にすごい」
と、おっしゃっていたのですが、まさにそうでした。
原画を間近で見ると、それぞれの描画は筆をスッと置いているだけなのが分かる。
それで、あの圧倒的な精緻さと奥行きが表現できているのが、目の前にその原画がいくらもあるのに、まったく信じられない。

老眼鏡を忘れたことと、視界に白いモヤがフワフワしていることを呪いながら、何枚もの生賴世界を食い入るように見つめていたら、なんだか体調がおかしくなってきた。

売店で、SWでもっとも好きな作品である「帝国の逆襲」ポストカードと図録を購い、外に出る。
なんだかフラフラしていたのだが、自販機で温かいお茶を買って飲んだら、落ち着いた。ちょっと脱水気味だったのかもですね。

上野駅構内に崎陽軒の店舗があったので、夕食用に好物のシウマイを買って帰途に。
ついでに、エーグルドゥースでケーキも買いました。


さて、新しい週だ。
なにがあっても、どうしたって新しい週は始まるんだ。
嗚呼。




【岩井っスの日記】 サヨナラ、狩撫麻礼さん。
2018-01-16 03:26


本日、狩撫麻礼さんの訃報が公表されました。


昨日のブログで、「19日には」と書いていたことは、狩撫麻礼さんの訃報でした。

ご親族からの連絡は10日水曜日の夜だったのですが、狩撫さんご本人とご遺族の希望で、既にご葬儀も内々ですませられた後にお伝えいただいたとのこと。
狩撫さんのご遺志は、とにかく「騒がぬように」ということでしたので、そうしたお人柄を重々承知している編集者たちは、これからについていくつかの出版社間で話し合いを行い、19日に第一報とすることになっておりました。

それが、諸事情から、本日の訃報と急遽なりました。


ビームの公式ツイッターで訃報をツイートしたところ、とても多くのかたにリツイートしていただいております。
その後、訃報はヤフーのトップに上がり、「狩撫麻礼」がトレンドワードとなりました。

狩撫さん、「騒ぐな」って言っても、そんな、無理ですよ。
狩撫さんの漫画を読んで、愛してくれた人が、こんなにたくさんいるんです。
申し訳ありませんが、勘弁してください。


正直、まだ、狩撫さんのことを書ける精神状態ではありません。
いつか、少しずつでもその想い出を書ければと思っていますが、とにかく、今は無理です。


7日に亡くなったということを、私は本日知りました。

そうか、7日、日曜日か。

昨日の日記で書いた、私の「暗闇の部屋で、視界の中に閃光が走った」のも、日付は7日でした。たぶん、朝の3時か4時か。
狩撫さんが、この世を去られたのが正確に何時だったのか知りませんが、あれは、狩撫さんが、別れの挨拶にきてくださったのですね。
ぼくは、そうであると決めました。
そうに決まっています。

「加齢による生理的症状」? 冗談じゃない。

「真っ暗闇に疾る刹那の閃光」が、狩撫麻礼でなくてなんだって言うんだ。


狩撫さん。
ありがとうございました。

ぼくらは、まだまだ、あちら側とこちら側の狭間を行きます。


サヨナラ。
これが、一番美しい日本語だとぼくに教えてくれたのは、アン・モロー・リンドバーグと狩撫さんでしたね。

For Sayonara, literally translated, "Since it must be so," of all the good-bys I have heard is the most beautiful.
(さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう)
(『北へ』 訳は須賀敦子『遠い朝の本たち』より)


「一番美しい日本語を知ってるか……? ………サヨナラ」
(『迷走王 ボーダー』)


狩撫さん、もう、あの経堂の部屋でお会いできないと思うと、胸が張り裂けそうです。
でも、しかたないですね。
思い通りにならないことなんて当たり前にある、ってことを教えてくれたのも、狩撫さんの作品でしたから。
もう、「そうならねばならない」んですもんね。
お別れです。

サヨナラ、狩撫麻礼さん。


あの光は、まだぼくの瞳孔の中で、ギラギラと煌めいていますよ。




【岩井っスの日記】 いろいろあるけど…。
2018-01-29 01:26

1月15日(月)~18日(木)

ビーム3月号の仕込みと、いくつかの会議、そして、狩撫さんのことで、なんだかあっと言う間でした。


1月19日(金)

仕事を終えて、8時、恵比寿。
カネコアツシくん、森泉岳土くんらと待ち合わせ、リキッドルーム。world's end girlfriendのライブ。
友人のギタリスト青木裕さんがゲストミュージシャンとして参加するので、カネコくんと一緒に。
青木さんは、このライブの前日、「骨髄肉腫」という難病であることを公表した。

そんな難病の影も感じさせない超硬質なライブ後、青木さんに挨拶。
青木裕は、なんも諦めてないな。

その後、森泉岳土くんとファストフード店に入り、進行中の仕事の話を終電まで。

いろいろある。


1月22日(月)

狩撫麻礼さんのお宅へ。
狩撫さんが逝去なさってから、初の訪問。
言葉にならない。


23日(火)~25日(木)

ちょっと狩撫さんのことで、心が持っていかれてしまっている。
…うう。
でも、仕事はします。


26日(金)

映画「ハード・コア」初号試写。

試写後の打ち上げにも参加させていただき、いましろたかしさんと山下監督に感想を伝える。

ぶっちゃけ、素晴らしかったです。


原作である「平成地獄ブラザーズ ハード・コア」は、狩撫麻礼さんといましろたかしさんが、秋田書店の雑誌グランドチャンピオンで、四半世紀も前に連載された漫画です。
秋田書店では、単行本1巻を刊行した後で、その売り上げが振るわなかったことから、続刊がされないという不運な形に終わりました。

担当である奥村さんは、コミックビームに移ってしばらく経った7年後の2000年、執念のように、前後編で全編をビームコミックスとして刊行しましたが、このときも、決して売れたワケではありません。

そんな作品が、さらに17年後、映画化されることが決まり、コミックスが装いを改め全4巻で刊行されました。

すごいことだと思います。

映画を観ながら、「ああ、25年前にグラチャンに載っていたあの漫画が、実写になっている…」と、とても強く感情を揺さぶられました。

試写後、喫煙室で奥村さんに、「大西さん(グラチャン編集長)と樋口さん(同副編集長)には、観てもらいましょう」と伝えました。
だって、単行本が1巻しか出せなかった漫画が、足かけ3年に渡って連載され完結まで持ちこむことができたのは、作家陣と担当だけの熱意では不可能です。それでも掲載することを許した大西さんと樋口さんの「思い」があったからこそですから。
(ちなみに、グランドチャンピオンについてのネットの情報では、奥村さんがグラチャンの編集長と書かれているものがありますが、これは完全にガセです。奥村さんは最初から最後までヒラの編集でした)

出演者は皆、最高。
山下監督は、原作へのリスペクトをビンビンに感じさせながら、きちんと「今」の映画にしてくださいました。

映画で、「完」の文字が出たときに、自分は、「もう狩撫さんの死に縛られるのはやめよう」と心に誓いました。
これからも、バトンを渡されたものとして、きちんといろいろやっていきますが、とにかく、ケリつきました。
そういう意味でも、映画に感謝を。

いや、普通に面白いですから、狩撫ファンはもちろん最良の追悼のために、そして、「面白い映画」を観たいすべてのかたに、「ハード・コア」はお薦めできると確信しております。


1月27日(土)・28日(日)

27日は仕事をシコシコ。

28日は、親戚の結婚式に出てから、再び仕事をシコシコ。


うし、前へ進もう。


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  1. 2019/01/14(月) 21:07:39|
  2. 狩撫麻礼追悼ナイト
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狩撫さんの形見

狩撫麻礼のファンたる小生にとって、狩撫さんはどんな人なのだろう、という強い関心はあった。
しかし、狩撫さんを知るために狩撫さんに実際に会う、という行為に強い抵抗がずっとあった、というのは以前のこのブログで書いたとおりだ。
しかし、狩撫さんに直接会わなくても、狩撫さんが愛した「事物」から、狩撫さんが積みかさねてきた体験を想像することはできる。

狩撫麻礼追悼ナイトの開演直後、司会のビーム岩井編集長から「おみやげ」について解説があった。
ひとつは、狩撫さんの未発表の詩を手拭いにプリントしたもの。狩撫さんの仕事場にはBob Marley "Redemption Song" の歌詞のプリントをおさめた額が飾られていたそうだが、この中に人知れず埋まっていたのがこの詩だという。
あの太いペンでカチッカチッと書かれた狩撫さんの筆跡とはかけ離れた、力の抜けた筆づかい。狩撫さんは病んだ晩年に、もうあの硬質な筆跡で書き刻む力を失っていたのかもしれない。
結句の「さよなら、また会いましょう」とは、狩撫さんの最晩年の作品「サウダージ」に出てくる台詞だ。ひょっとしてこの詩は、狩撫さんなりの“辞世の句”だったのかもしれない。輪廻転生がありうるならば、あなたと、今一度。ああ、それは私たちファンも同じ思いなんだよ、狩撫さん。

追悼ナイトのもうひとつの「おみやげ」は、狩撫さんの仕事場に置かれていた蔵書・レコードの「形見分け」だった。
本当に狩撫さんは幅広く本を読み、ディープに音楽を聴きこまれていたのだなあ、と偲ばれるラインナップだった。
一介のファンごときがこのような遺品をいただいていいのか、という抵抗もあったのだが、この形見分けは狩撫さんの奥様のご配慮であったという。関川夏央×谷口ジロー「事件屋稼業」に似たようなエピソードがあったのを連想した。奥様、本当にありがとうございました。

小生がいただいた形見分けは、狩撫麻礼追悼ナイトの終演後、来場者の皆さんに形見分けされたあとの最後に残ったLPレコード、蔵書だった。
狩撫さんの蔵書には、有名な古書チェーンの「百円」の店頭値札が貼られたままだった。私たち狩撫ファンの多くは、狩撫さんの単行本を主に古書店で探すのが習性となっている(それは今の出版業界の苦しい事情=増刷がかからず絶版が早い、というやつゆえだ)のだが、なんだ狩撫さん自身もファンと同じように古書店で本を探しておられたのだ。足マメな人だったのかもしれない、と想像した。

「狩撫麻礼追悼ナイト」で形見分けされたアナログレコードは、先立つことひと月の業界関係者むけ「狩撫麻礼さんを偲ぶ会」では出されていなかったという。そしてこれらのアナログレコードは、狩撫さんが原作者としてプロデビューする前後に経営しておられたロック喫茶「ドレッズ」で使われていたものも混じっていたとのこと。ありがたいことに、ファンだけが狩撫さんの古き時代のココロを共有できる形となった。ビーム岩井編集長の粋でありがたい心遣いに感謝。

狩撫さんの愛した音楽

小生がいただいたアナログレコード8枚はすべて、鹿児島の山奥でおなじく狩撫さんのココロを長年共有してきたミュージシャンである旧友に託した。もはやアナログレコードを再生するすらことも難しい現今ながら、レコードジャケットあるいは音楽や歌詞を通じて、狩撫さんのココロが、新たな次の世代へと伝わっていくことを願っている。


「堅苦しい戒律(タブー)だらけの
 ≪思想≫も≪信仰≫も
 持ち合わせてねえが

 魂(たましい)は伝達可能だ
 …それだけは信じてる」
(迷走王ボーダー)

  1. 2018/08/21(火) 22:07:51|
  2. 狩撫麻礼追悼ナイト
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「時の時」に至るまで

小生、管理人の窪多は何も特別な男ではない。出版業界にも漫画業界とも縁はなく、ただ狩撫麻礼のココロに惹かれるままに生きてきた凡々たるファンそのイチに過ぎない。

だから「狩撫麻礼追悼ナイト」の冒頭で、「ツキノウタゲの窪多さんの協力で…」と紹介されたことに、面映ゆさを感じて仕方がない。この凡人は「追悼ナイト」の開催に関して物理的な協力も助力も何らしていないのだ。

だが他方で、狩撫さんの死去から「追悼ナイト」の開催に至るまでの半年ほどの間に、実はそこそこの「やりとり」があった。そのことを形ばかり記録しておきたい。

狩撫さんの訃報が公表された2018年1月15日。
その時に天地崩落級の大ショックを受けたのは、このブログにて過去に書いたとおりだ。
小生の狩撫麻礼喪失ショックは、かなり長引いた。メシも喉を通らない、というリアルな体験をしたのは、それこそ生まれて初めてだった。
10日ほどしてようやく我に返りかけたときに、最初に思い立ったことは「狩撫さんに何かお礼をしなくては。霊前にて感謝のコトバくらいお伝えしたい」であった。
しかし、そのためにどうすればいいのだろう。

アテにならないが頼れそうなすべはあった。
エンターブレイン刊の「コミックビーム」のウェブサイトやブログを長年にわたって拝見していた(本誌は狩撫さん作品が掲載されている時しか買わない不義理者だった)のだが、ここで、ブログに狩撫さんの近況を結構マメに書かれていた編集長の岩井氏、この人にお願いすれば何とかなるかもしれない、と思い立った。
藁にもすがる気持ちでビーム編集部に連絡。狩撫さんのお別れ会で、ファンからお礼を伝えることはできまいか…と。

それが、大きな縁だった。
岩井さんは以後、折にふれて近況を知らせてくださるようになった。
以下引用するのは、岩井さんがくださったメールから抜粋したもの。

2018年1月27日
> 狩撫麻礼さんの偲ぶ会(送別会}については、遺族へお願いをしている状況で、もしできるにしても、どういう形になるかは未定です。
> もし、読者のかたが参加できる形になるようなら、改めて連絡しますね。


2018年3月1日
> 先日、狩撫さんと縁の深かった、
> 双葉社、小学館、日本文芸社、そして私が集まりまして、
> 狩撫さんの偲ぶ会などについての話し合いを行いました。
> そこで、偲ぶ会自体は、一昨年に亡くなられた谷口ジローさんの偲ぶ会と、
> 同じ形で行うのが良いのではないか、ということになりました。


さもありなん。
狩撫さんも立派な「業界人」のそれも特大級の大御所なわけで、その「お別れ会」はやはり、業界葬的な色彩から逃れられぬ。そしてファンなぞは所詮は部外者なのだ。
狩撫さんの霊前にファンから線香の一本を、の希望は潰えたかに見えた。
しかし、岩井さんは上記のメールに、こう続けた。

> 私は、できれば、狩撫麻礼読者の皆さんのためにも、
> 「偲ぶ会」的な集まりをできればと考えているのです。
> 例えば、
> 新宿のロフトプラスワンのようなところで、
> 「狩撫麻礼追悼ナイト」を開催するというのを、窪多さんはどうお考えでしょう?


背筋を電撃が走った。
それこそ、狩撫ファンからの思いを捧げるに相応しい形ではないか。
ライブハウスでの狩撫麻礼の「時の時」…想像するだけでゾクゾクするではないか。

もっとも、狩撫さんの最後の遺志は「騒がぬように」であったという。
このことを岩井さんは気にしておられるように見えた。こんな派手なイベントなどをやって狩撫さんは喜ぶのか?との迷いも持たれておられたようだ。

しかし、窪多の思うところ、狩撫さんはココロの底で、ファンの声、ファンの反応を楽しみにしていたのではないか、と。
西暦2000年に開催された(これもコミックビーム編集部主催の)「いましろたかし・狩撫麻礼サイン会」において、狩撫さんがいたくお喜びだったことも仄聞していた。「俺たちのために集まってくれた…」と。
いま一度、最後になるかもしれないが、狩撫さんに喜んでもらうならこの「Live!」しかあるまい。
そんなことを岩井さんにお返事した。そして、地方在住の窪多から開催までに協力できることはさせてもらう旨を申し添えた。

それ以後、しばらく岩井さんからの連絡は途絶えた。
「ダークマスター」の刊行なども挟んでご多忙だったことは間違いないが、何より岩井さんは迷っておられるようだった。
ファン主体での「追悼ナイト」の開催こそが、あるべき姿なんじゃないか?
そのファンを率いる中心として「ツキノウタゲ」の窪多に立ってほしいのだが、地方在住では頼むに足りぬ…と。

「ダークマスター」の読後感想を書き送ったついでに、岩井さんの逡巡、苦悩に気づかぬ無神経さ丸出しで窪多はこのようにも放言してしまった。「 『狩撫麻礼追悼ナイト』のほうは、モノになりそうでしょうか?」と。
岩井さん、すみません。本当に窪多は忖度のカケラもない鈍感なバカでした。

2018年4月17日
> でも、狩撫麻礼ナイト、やっぱりやりたいなあ。
> ちょっと、本格的に、6月か7月で、ロフトあたりを抑えてみます。


2018年6月8日
> そして、ぼくは腹を決めました。
> 読者のための、「狩撫麻礼追悼ナイト」、やりたいと思います。
> 今、8月のどこが空いているか、ロフト各店(新宿・渋谷・阿佐ヶ谷)に問い合わせをしています。


2018年6月18日
> 現状、
> 8月10日(金)の深夜帯で、
> 渋谷ロフト9を、
> 抑えてしまいました。


ついに、岩井さんに何もかも任せっぱなしのまま「狩撫麻礼追悼ナイト」の開催が決まった。

「できるだけ多くの狩撫麻礼のココロに揺さぶられた同士に、できるだけこのイベントのことを知ってもらいたい」というせめてもの思いから、公式の開催発表に先駆けて「ツキノウタゲ」に予告を載せたり、公式発表と前後して「月の宴」のtwitterを開設したりして、鐘太鼓を叩いて宣伝のようなことに励んでみた。もとよりSNSとかは自分の肌にあわないと知っているので、一世一代の道化を演じた、というのが正直なところだ。
反応は、じわじわと来た。「ツキノウタゲ」にあててコンタクトもいただいたし、「ツキノウタゲ」のアクセスカウンターが平常の10倍の速度で回りだした。

小生にとっての「追悼ナイト」は、狩撫さんへの畏敬の念を表す場であるとともに、この11年のあいだに「ツキノウタゲ」に協力してくださったファンの方々への感謝を表す場にもしたい、と思った。

…こんな調子で、プロデュースしてくださった岩井さんの思いとはてんでズレたことを考えて突っ走っていた開催前の一ヶ月だったのだが。
結果的にそれはそれでよかったようだ。当日窪多に声をかけて下さったみなさん、本当にありがとうございました。ココロから感謝しています。

2018年8月8日
> いよいよ今週末ですね、狩撫追悼ナイト。
> こちらのイベント内容の仕込みも、ほぼほぼ終わりまして、
> 後は当日を待つのみ、です。


そして、2018年8月10日24時30分すぎ。
ザ・ブルーハーツの「リンダリンダ」とともに「時の時」が幕を開けた。
「ドブネズミみたいに、美しくなりたい…」と。


  1. 2018/08/16(木) 03:40:46|
  2. 狩撫麻礼追悼ナイト
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もうひとつの追悼

狩撫麻礼ファンサイト「ツキノウタゲ」を開設して一年もたたぬころに、サイトあてにいただいたメッセージを以下抜粋紹介する。

2008年5月3日 21:11

> 『ツキノウタゲ』管理人様

>  この度、貴サイトを見つけて拝見させていただきました。
>  実は「らくえんのうた」を運営していたトオル氏は私の学生時代からの友人であり、2006年の8月に病気で亡くなっています。35か36歳でのことでした。
>  当時闘病中の彼を見舞いに行った際、二人っきりで私や他の友人のサイトについて話をしていた時に、本人から同サイトについて聞かされました。彼は知人にもほとんど同サイトのことは話していなかったようですが、私には「狩撫麻礼のリサーチに関しては日本一のサイト」と自慢していました。
>  この度、貴方にて文字通り彼の遺産を継いでサイトを運営していただいていることを知り、メールさせていただきました。彼に代わって感謝いたしますとともに、今後とも活動を続けていただけますよう、彼に代わってお願い申し上げます。


トオル氏が、狩撫麻礼ファンサイト「らくえんのうた」を開設されたのが西暦2000年のこと。それをめざとく見つけた当時の小生、すぐにトオル殿にメールを送り、以降何度もやりとりをさせてもらった。そのトオル氏との最初のやりとりで衝撃だったのが「狩撫麻礼はまだ生きている」という事実だった。
それというのも実は、そこから遡って数年前、ちょうど狩撫麻礼名義の新作が世にでなくなったころに「狩撫麻礼は死んだ」という話をあるところから聞かされていたからだ。最近になってようやく、業界関係者の方の証言により狩撫氏自身が当時そのように吹聴していただけのことと知ったのだが、当時の小生が得た断片的な情報では、そういった事情を推し量るべくもなかった。
当時の小生、狩撫麻礼的世界にズブズブに嵌ったあげく東南アジア界隈を「フラフラ迷走」しているまっただ中だった。長い旅で疲れて気弱になっていたこともあったのだろう、トオル氏からの「狩撫麻礼なお存命」「別名義で精力的に作品を発表中」の報にものすごく勇気づけられたのだった。

その後小生は、10年近くにわたる迷走の旅を切り上げて日本に「社会復帰」したのだが、トオル氏との断続的なやりとりは続いていた。トオル氏と小生の居場所がかなり近いことがわかって、いちど一杯やりましょうよ的な話もさせてもらったことがある(それはとうとう果たせなかったが…)。

その後あるときを境に、トオル氏からのメールは届かなくなった。
そして「らくえんのうた」のウェブサイトの更新も止まってしまった。
トオル氏の身の上に何が起こっていたのか、当時の小生には想像もつかなかったのだが、当時トオル氏が「らくえんのうた」に使われていた"carib-marley.com"のインターネットドメインが失効しかけていると知ってちょっと焦った。このままでは、狩撫ファンの皆さんが足で稼いで蓄積された集合知が消えてしまう!この事実を知る者がなんとかしないと!との切羽詰まった思いで「らくえんのうた」のミラーサイトを開設させていただいた。2007年7月のことだ。
あわてて作った「ツキノウタゲ」の中の1ページで「トオルさんご一報ください」と呼びかけさせていただいたのだが。
それに寄せられた返事が、冒頭に紹介したトオル氏のご親友からの訃報だった。

時は流れて、狩撫麻礼が本当に死去されて初盆を迎える2018年8月10日深夜。
「狩撫麻礼追悼ナイト」のイベントの場において、臨席された編集者の方にお話を伺った。狩撫さんはインターネットとかには疎遠だったようだが、その編集者さんの紹介で「らくえんのうた」「ツキノウタゲ」のことをお知りになったらしい。
狩撫さんは「俺はファンに恵まれた」とのコメントをくださったそうだ。
その話を聞いて、不覚にも泣けてきた。なによりトオル氏のために、よかったなあ、と心底思った。

私たち狩撫麻礼ファンは、狩撫麻礼のココロに惹かれ、トオル殿が礎を築いた縁の上で生きています。
もうすぐトオル殿の十二周忌。あの世で先に狩撫さんと一献やっていてください。
小生は、トオル殿の遺したご縁を忘れず、まだ娑婆で「シブとく生き抜」いていきます。


  1. 2018/08/14(火) 21:46:01|
  2. らくえんのうた
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父親

コミックビーム3月号の「追悼[狩撫麻礼]」とあわせて
竹谷州史氏の「狩撫さんと私(長い文版)」を読んだ。
しばらく飲んでいなかった酒の力が後押ししたのか、涙が止まらなくなった。

コミックビーム編集長・岩井好典氏のコトバがココロにズガズガ沁みてきた。
「『境界』を越えろと読む者を強く誘う氏の作品は、これからも、世界を撃ち続けることでしょう」
「世界中のラスタマンたちへ、その魂のバトンは(場合によって頼りないけれど)確かに手渡された」
「孤独のただ中で、人は歌う。すべての歌は恋歌(ラブソング)だから。狩撫麻礼の魂は叫ぶ。これからも——。」

そして、竹谷氏の
「私にとってのあなたは、
おもしろくて、かっこいい、憧れの父のような存在です。」
というコトバに、さらにココロを揺さぶられた。

世の中に生を受けた男たちで
血のつながった父親との折り合いがうまくいかず
苦しんできたのが、どれほどいることだろう。
血縁という免罪符をもって、息子のナイビティをズタズタにする
そういう愛情という偽善をもって息子の可能性をスポイルしていく父親。

そういう腐れ縁に苦しまされた一人だった。

父親は、息子の人生のある時をもって
血のつながらぬ第三者にスイッチするべきだ。
血縁という呪縛で視界を阻まれた息子の蒙を拓く
生き様を教えてくれる父親に。

「人間(ひと)が一念発起すれば
 宿命的に親の理解から
 外れる 敵対さえするものさ

 無理にバランスを保とうと
 する時に《悪》の芽…大政翼賛(ニューミュージック)
 兆す

 ならば 俺は
 《親不孝》を選ぶ」
 (迷走王ボーダー)

竹谷氏は「父のような存在」である狩撫氏を得て
それまでに得られなかった視界を拓いたのであろう。
ココロの底から羨ましく思う。

私は、狩撫麻礼作品の教えを「父親」として
閉塞した視界を打開し続ける。

狩撫氏なき今、バトンは完全に狩撫氏の手を離れて
我々読者がそれをシカと受け止めるべき時がきている。
私も受け取ったぞ、オヤジからのココロのバトンを。


  1. 2018/02/12(月) 04:53:54|
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